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この作文の作成日 : 2023/02/19

ページ新規作成日 : 2025/02/10

ページ最終更新日 : 2025/02/10

題材 : 仏道の原点 因果応報の真理に学ぶ


 お釈迦様が悟りを開くまでの過程が非常に興味深かった。スケールこそ違えど、現実世界の問題によって何かしら悩み苦しむ人間にとっての「霧が晴れる」瞬間とは、誰しも似通った部分があるのではないだろうか。

 お釈迦様はインドのカピラ国の王子として生まれ、おそらく、その環境にいる限りは衣食住に困ることはなく、むしろ、贅沢に飽きるくらいの暮らしをしていたことだろう。けれども、そんな中で宮殿の窓から見える人々の姿を見て、「生まれることそのものが苦しみという人間の過酷な現実と向き合っていた」と書かれている。そして、人々を苦しみから解放する道を求め、二十九歳のときに密かに王宮を離れて出家した、とある。このとき、地位も財産も擲ち、妻も子も両親も置き去りにして一人苦難の道へ踏み出した、とのこと。そして、難行苦行では悟れないという結論に達しており、その後、天空に明けの明星が輝くのを見て悟りを開かれた、という流れだ。

 文中に「お釈迦様は決して私たちと懸け離れた存在ではない」とある。悟りに至るまでの一連の流れを説明されてみると、確かに、非常に説得力のある話である。何故かといえば、そもそものところ、お釈迦様が悟りの道に興味を持ったきっかけとして、衣食住や教育環境に恵まれた環境で育った自分と、宮殿の外で生きている人々の生活レベルの圧倒的な格差に心を痛めていた事実があるからだ。

 さて、ここでひとつの問いが出てくる。もしも、これが逆の立場だったら、どうだろうか? 自分自身が宮殿の外にいて、毎日食うに困り、ただただ苦行に耐え、他人の施しがなければ生きていけないような状態で生きていたら? そのとき、自分の目に映る、遠くの豪華な宮殿の姿や、その中で贅沢な暮らしをしている人々の姿を目の当たりにしたら、果たしてどう思うだろうか? 恨めしく思うのではないか。あるいは、自分の生活との圧倒的な格差に絶望し、生きる希望さえ失いかねないのではないか。貧しい立場からその格差を解決しようと奮起して行動を起こせば、その行き着く先は暴動や革命に違いないだろう。実際、持たざるものにとって、苦しみを解決する手段はそれしかないのだから。となると、人々の苦しみを救えるのは恵まれた立場にいる人間だけ…ということになるが、ここでまた、ひとつの問題がある。

 それは、この世の富は有限であり、たとえ、持てるものが与え続けたとしても限界があるということだ。私はお釈迦様のことを詳しく知らないので、たとえば、彼に農作や土木の知識があったかどうか…などは分からない。ただ、おそらく、なかったのだろうな、とは想像できる。もしもあったとすれば、一国の王子であればその技術を使って人を動かし、より多くの人を救えるように現実的な行動を起こしていくほうがよほど実りある結果に繋がるだろうからだ。仮に満足な結果が得られなくとも、その道を試行錯誤している限りは、それこそ、「感性的な」物思いに耽る暇などない日々になるだろう。お釈迦様はおそらく、目の前にある残酷な現実に対して有効な解決策を講じることのできない自分の無力さを痛感していたはずだ。

 「それでも」何かしようとした結果が悟りの道を目指すことだったのだろう。もちろん、私が今書いたことは推測にすぎないが、そう考えると彼の行動に納得できる。実際、仏教が長年多くの国に広がり信仰された歴史を思えば、それは無駄ではなかったことだろう。どうにもならない現実を「それでも、生きていく」ための気の持ちようとして、宗教というのは非常に機能的に作用するものだからだ。

 私は昔から、人間の文化や思想に対する興味が強いので、今回のお釈迦様の話は非常に興味深かった。人類の文化の進歩発展に寄与した偉大な人物の一人に対して、改めて敬意を表する。