この作文の作成日 : 2022/09/10
ページ新規作成日 : 2024/08/18
ページ最終更新日 : 2024/08/18
この対談を読んでいて、自分の子供の頃のことを思い出した。私は自分の血縁の家族からは十分に愛されてきた自覚があり、金銭的にも極貧というほどの子供時代ではなかったが、ひとつ残念なこととして、けっこう派手にいじめられっ子だった事実がある。その事実について自分なりに原因を探ってみると、たとえば当時は女子の中でも非常に背が低かったことや、身だしなみに対する意識や衛生管理が弱く、何かにつけて行動が鈍かったので、周囲の子供達の苛立ちや差別意識を刺激してしまったことが挙げられると思う。
ただ、母親が(スパルタな意味ではなく)教育熱心な人で、小さな頃から私の色々な好奇心を奪わずにいてくれたために、いじめられっ子だった割には極端に自信喪失することもなく、授業中には先生の質問に対してしょっちゅう積極的に手を挙げていたし、先生などの身近な大人にはよく懐いていた。冷静に思い返してみると、我ながらちょっと変な子供である。「今も変だろ」という突っ込みもありそうだ。考えてみると、そんな形で妙に目立っていたのもいじめられた原因かもしれない。
さて、そんな私であるが、子供の頃、学校でいじめられて傷つき、家に帰ってから母親に泣きついたことがあった。その時に母親が言ってくれた慰めの言葉で、ずっと覚えていることがある。母は「いじめる子の方が可哀想なんだよ。あなたが下手に泣いたりして反応するから、面白がってエスカレートする。だからもう、相手にしないで無反応でいなさい」と言っていた。それ以降、私は子供ながらに心を閉ざすことを覚え、泣く代わりに無表情、無反応になり、冷めた視線で「我関せず」を貫くという、ある意味では非常に生意気な子供になった。それはそれでその後の人生で苦労したわけだが、話が長くなりそうなので割愛する。
私が今回の対談と紐付けて語りたいのは、「いじめる子の方が可哀想なんだよ」という母の言葉に込められていた意味のことである。当時の母にとって、さほど深く考えた末の言葉ではなかっただろうが、小学校1年生か2年生だった私にとっては印象深かった。当時、私としては当然ながら、「いじめられた私のほうが可哀想」だという認識であったから。私は、母が言っていた「可哀想」の意味について、子供の頃から何度も思い返しては考え続けている。
その答えについてのひとつの推測として、「ひょっとすると、いじめてくる子の家庭の中では、その子自身が『もっと強い人間によって傷つけられる側』として存在していたのかもしれない。私は、その憂さ晴らしとして利用されたのかもしれない」という発想が出てくる。そんなわけで、私は子供の頃以来、自分に対して嫌な態度を取ってくる人を見ると、ついつい「むしろ」同情してしまう傾向がある。相手にしてみれば逆に嫌かもしれないが、なにしろ、そういうふうに育ってしまったものは仕方がない。母が何気なくくれた言葉は、私にとって何より強力なお守りになった。
一人の人間の抱える心の歪みというものについて考えるたび、色々なところで何度となく見かけたこんな言葉も思い出す。「世の中で本当に困っていて助けを必要としている人は、助けたくなるような姿をしていない。誰もが見捨てたくなる、付き合いきれないような姿をしている。『だからこそ』、そんな人のことでも必ず救い出すためには、下手な人情や同情に頼るより、システマチックに救い出すための仕組みが必要なのだ」と。
考えてみれば、「助けるべき価値のある人」と「そうでない人」を決めようとすること自体が判断者のエゴに違いなく、人間が人間を救うということの難しさに思い至る。 人を救うためには、救う側にも相当な理性と根性が必要だということだろう。大人になった今、私は当時のいじめっ子達に対して、その背後にいる大人達 に対して、何を語りかけることができるだろうか。それは、私の人生にとってとても大きな宿題のような気がする。