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この作文の作成日 : 2021/08/28

ページ新規作成日 : 2024/10/14

ページ最終更新日 : 2024/10/14

題材 : 運命をひらく 人生の”合い言葉”


 一番心に残った言葉は、「”退路”を探すな ”活路”を探せ」というものだ。世の中ではよく「逃げるな」「諦めるな」という言葉が薫陶として使われているが、私は時々、それを頭から真に受けて「嫌々ながら頑張る」ことに対しては強烈な疑念を持つことがある。何故かというと、そうやって「頑張った」先にあるものが自分の心が本当に望むものではない場合があるからだ。他人から言われた通りのことを盲目的に信じ切って「他人の言葉に従おうとしている」限り、その危険は常について回る。勿論、だからといって無闇に反抗的になることを良しとは思わない。ただし、せっかく努力するのであれば、その目的をはっきりさせることが重要だと考えている。つまり、その何かを頑張った先に、自分が「どこに」辿り着きたいのかを明確にイメージするということだ。ここがイメージできていないときにいくら他人の言葉に従って頑張ってみたところで、それはむしろ、自分や他人の人生に対して無責任だし、消極的な態度であるように思う。

 主人公意識が大事である、とも語られている。同じことでも、自分でやりたいと思ってやることは喜びになるのだという。確かにその通りだ。私は子供の頃から運度音痴であることをコンプレックスにしてきた。いじめられっ子でもあったのでからかわれるのが嫌で、運動に関わることをずっと避けてきて悪化させたまま大人になった。しかし、本心では、ずっとできるようになりたかったし、体力はないよりあったほうがいい。そこで最近、ゆっくりとした速度ではあるが、ジョギングやウォーキングを日課にしてみた。データベーススペシャリストの試験勉強も、今までの自分と比べるとびっくりするほど地道に続けている。しかも、それが苦痛になっていない。本音からくる努力というのは、欲求に嘘がないから「無理なこと」にならない。だから継続できるし、喜びになる。そのことを実感できるようになった、というか、子供の頃のような感覚で思い出せたことが嬉しい。

 やったことの成果を記録に残していくことも、モチベーションを維持しながらタスクを網羅していくために有効だと分かった。その方法論に出会えたのは、大人になったことによるメリットだと思っている。