かかってきやがれ!

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  2.クセモノ  

「あれ?相川さん、もう治ったんですか」

「そ。委員長の仕事いつまでも休んでたら、やっぱ皆神君に悪いしね」

 時は八時十九分。ここは学校近くの道路上。裕輔と話をしているのは、確か今日までは休むといっていたはずの奈津美その人であった。

「ほんとに大丈夫、ですか?」

 確かに骨折するほどひどい怪我ではなかったが、それでもあちこちに痣があったはずだ。元気なら問題は無いのだが、これでも怪我をさせた身としては無理をされるとかえって心苦しい。

「あ、信じてないわけ? ほら」

 奈津美は裕輔に右腕を見せた。さりげに悩殺サービス!(注;ふざけるのはやめよう)

「ね」

「え。……あれ?」

 奈津美の腕には傷痕がなかった。

「むむむ」

 確か、こちらの腕には一番痛そうな痣があったのだが。治るにはもう少し時間がかかるはず。──常識的に考えれば。

「あたし、怪我の治りは早い方なの」

 奈津美はあっさりとそう言った。裕輔は感心したようにうんうん頷いてみる。

「相川さんって便利ですね……」

「その言い方なんか嫌」

 時は八時二十分。そして彼らはまだ、迫りくる授業開始時刻に気付いていない。












「相川ー、出てきたと思ったらいきなり遅刻すんなー。渡辺ー、お前転校生の自覚なさすぎ」

 一時間目、日本史。ちょっぴし虚しげな顔をして、児嶋はやる気のない説教をした。一般的に、若い教師は生徒より弱い。

『すいませーん』

 二人は揃って答えた。申し合わせたようなタイミングに、児嶋の頭痛は倍増する。

「いいなお前ら、仲良くて……」

 仲がいい、という言葉に二人ともただならぬ違和感を覚えたが、面倒なので放っておくことにした。切り替えが早いのが若者の美点である。

「せんせー? 何かあったの?」

「今度こそ振られた?」

 毎日のようにこんな会話を繰り返しているのが このクラスの偉大なところ。

「お前らの思考回路って、つくづく幸せにできてんのな……」

 だが、今日の児嶋はいつもの軽口に乗ってこなかった。朝だというのにとことん暗い。『いつもさわやか児嶋君』は、どうやら落ち込んでいるらしい。ちなみに、今の変なキャッチフレーズは副委員の皆神作である。皆神直人恐るべし。

 それにしてもおかしい。児嶋というのは家がゴジラに潰されてもくじけそうにない人間なのだが、この落ち込みようは。

「先生、元気ないねぇ」

「何落ちこんでんの?」

 生徒達も、ちょっと心配したらしい。

 若いというのはいい事だ。生徒の気遣いが身近に感じられる。年配の教師よりは子供達と感覚が近いせいだろう。

「いや、元気はないが落ち込んでるわけじゃない」

 児嶋はそのままフッと笑った。あっ、二枚目。しかししかし。

「……疲れるんだよ、中間テストの問題づくり」

 そして「にやり」。

 それでこそ児嶋だ! やんややんや(作者の喝采)。こいつのどこが爽やかなんだ皆神直人(作者の呟き)。

「ひでー、俺達これでも心配したのに」

「ワタシの気持ちを弄んだのねっ!?」(←注;男)

「何とでも言え」

 児嶋は取り付くシマもない。職権乱用は教師の生き甲斐なのである。

「今度の中間に愛を込めてやるよ」

『え』

「遠慮するな、ほんの礼だ」

『嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……』

 一斉に呟きだす生徒達。クラスの心はひとつになった(感動)。

「テストなんかに愛こめてないで、もっと彼女と会ってやれば?」

「あ、俺、愛のこもったテストを彼女に届けましょうか? 俺達の代わりに茜さんへ!」

 ずりっ。児嶋は教壇で肘を滑らせた。こっそり拳なんか握っちゃったりして。

(恐るべしお子様……!)

 恋人の名前が生徒に知れ渡っている。いつの間に。

「お前らな……どっから仕入れてくるんだそんな情報」

「保健の谷野先生」

「…………あの女ぁぁぁぁっ」

 児嶋の血管は切れかけている。奈津美が無表情にツッコミを入れた。

「言葉遣い悪いよ児嶋ちゃん。翠(みどり)さんをあの女呼ばわりはどうかと思うけど?」

 「谷野先生」のフルネームは「谷野翠」だ。気の強い美人さんで、どうやら奈津美とは仲がいいらしい。

「遅かったわね、あんた」

 茶色の髪を指ですくいあげ、騒ぎをよそに島田美久が言う。

「んー、どっかの馬鹿のせいでね」

 奈津美はさらりとそう答えた。「どっかの馬鹿」は胸を押さえている。ハートが痛いらしい。

「避けられなかったあんたも馬鹿でしょ?」

 美久はにっこりと微笑んだ。奈津美は辛うじて笑顔だ。

「もしかしてケンカ売ってんの?」

「まさか。自分に正直なだけよ」

 二人ともたいした根性だ。単にじゃれているだけなのだが。

「…………」

 同僚の谷野。相川奈津美、島田美久。昔から、自分の周りには厄介な女が多い。

 児嶋は密かに冷や汗をかいた。気になってそちらに目を遣ると、裕輔が情けない目で助けを求めている。哀れだが怖いから見捨てよう。くわばらくわばら。

(マトモなのは茜だけだな……)

 恋人の顔を思い浮かべ、児嶋は一人で納得していた。人はそれを惚気(ノロケ)と呼ぶ。












 裕輔が怪しげな部活に勧誘されてから四日が経った。彼はまだ話を決めかねているらしい。どこに入ったとしても奈津美には関係ないはずなのだが、短期間の間に「親睦を深めて」しまった以上、奈津美にまで火の粉が降りかかるような活動はして欲しくない。同類にされたら沽券に関わる。

(結局どこに入る気なんだか)

 人事のように(人事だが)そう考える。奈津美としては、『あいつ』がいるあの部でなければ別にどこでも同じなのだ。

(間違ってもあそこにだけは入んないでよね……頭痛が倍増する)

 そうなったらなったで、児嶋と仲良く頭痛薬を飲んでくれれば作者的にはオイシイ。あ、今のは是非オフレコで。

 トイレ脇の廊下の柱に寄りかかっていると、すぐ脇の階段を下って裕輔が現れた。

「あ、裕輔。あんた部活決めた?」

「ああ、相川さん。まだですけど?」

 重い本を数冊抱えたまま、裕輔は突っ立って返事をする。気付いていてワザと話し掛ける奈津美さんはステキである。

「遅いわねー決めるの。ところで何やってんのこんなとこで。なんか用事?」

「いや、俺というよりはその」

 ここは職員室の前だ。特別したい事もないのにここにいるという事は、つまり。

「……あんたも児嶋ちゃんに呼び出されたの?」

「え。相川さんも? 何か悪い事でもしたんですか」

「あんた他に言うコトないわけ?」

 そう話しているところで、勝手に職員室のドアが開いた。児嶋である。

「セットで現れたか。ちょうどいい」

「あ、児嶋ちゃんっv」

 奈津美は文末にハートマークをつけて出迎えた。児嶋が嫌そうな顔をする。

「ちゃんづけはやめろ、ちゃんづけは」

「児嶋ちゃん児嶋ちゃん児嶋ちゃん児嶋ちゃんっvv」

 しつこくハートマーク。

「ほほう? それは嫌がらせかな奈津美ちゃん」

「うっわセクハラーー」

「……女の子って卑怯だよな……」

「ええまったく」

「裕輔くん最低ー。児嶋ちゃんの味方? 女の子見捨てるなんてひどーい」

「だって相川さん全然か弱くないし。この前の痣だって、人の事さんざん責めたくせにすぐ治っちゃうし」

 裕輔はぶつぶつと文句を言ったが、奈津美はいきなり決定打を繰り出してきた。

「治りが早くても痛いもんは痛い」

「すいませんヘコヘコ」

 こうなったらもう謝るしかない。今日だけで、もう何回彼女に謝った事やら。

「こらこら俺を無視するな。呼び出し食らっといてイイ度胸だな」

 児嶋が脇から口を挟む。さすがに呆れたのだろう。

「あ。そうだよ、なんであたし呼び出されたの?」

 沈黙。

「お前、自分が品行方正だと思うか?」

「全っ然思わない」

 奈津美は間髪入れず答える。

「もういい。さらばだ相川」

「拗ねないでよ先生。用事って何? どうせいつもの冗談でしょ、コレ」

「げ、わかってたのか。つまらん」

 この悪趣味な教師は、よく『ニセ呼び出し』をかける。大抵は雑用をさせるだけだが、本物の呼び出しと区別がつかないので非常に恐れられている。悪趣味ここに極まれり、と思うが、児嶋に言わせれば親切心らしい。いつだったか「本当に何かやらかした時でも、周りから変な目で見られなくていいだろ」と言っていた。あの時は尊敬しかけたが、「それに楽しいしなククククク」とか言われて我に返った。

「何をさせる気ですか?」

 裕輔の問いに児嶋が答える。

「本田の手伝い」

「…………児嶋ちゃん?」

 奈津美は脅しじみた微笑を浮かべる。

 本田。その名前に嫌というほど覚えがあった。












「おーい相川奈津美! あ・い・か・わ・な・つ・み!」

 その日の放課後、奈津美に声をかけてくるゴツイ輩が一名。

 徹底無視。それが、『あいつ』に対する奈津美の信条である。

(秘技、聞こえない振り!)

 奴に対抗するにはこれが一番だ。……が、

「お願い無視しないで、なっちゃーんっv」

「っだー、やめてよ気持ち悪い! ハートマークをつけるなハートマークをーーーーッ!」

 こんな気色悪い攻撃は反則に近いものがあるし、奈津美はそれに耐え得る程の忍耐力をもちあわせていない。

 というわけで、こうなる。

「あっ、やっとこっち向いたっvvv」

 『あいつ』こと本田敦は、語尾にハートマークをつけまくりながらにじり寄ってきた。柔道部主将のような外見と、妙に人懐っこい豪快な性格。そして、しつこい程の忍耐力。彼こそ、奈津美がある意味最も恐れている人物である。

 奈津美は足早に廊下を急ぐ。ただでさえ有名人だというのに、これ以上学校内で名前を連呼されるのは避けたい──しかも、振動がビリビリと足に「くる」ほどの大声で。

 そもそも奈津美の名が学校中に知れわたってしまったのも、こいつが毎日のようにしつこくしつこくしつこくしつこくしつっっこく、会うたびに奈津美を追いかけてくるからなのだ。

(くそー、最近会わなくてラッキー、とか思ってた矢先にっ!)

 本田がいつもの事を言いだす前に、奈津美は早々と釘を刺した。

「先に言っとくけど。あたし嫌だから」

「おぉっ? 最近ますます冷たい反応♪」

「………………」

 前々から気になってはいたのだが。

「ん? なんだいなっちゃんv」

 性懲りもなくまたハートマークを。

「せめて普通に喋りなさいよ! 気持ち悪い」

 本田は相変わらず気色悪い。しかもかなり鈍い奴である。今の自分がどれほど人々の気分を害しているか、多分おそらくほぼ絶対、ちっともまったく全ッ然、気付いていないに決まっている。

「えーなんでー?」

 やっぱり。

「そんなにごっつい顔で『なっちゃーんv』とか呼ぶなっていってんの!」

 奈津美が腹筋に思いきり力を込めて叫ぶと、本田は目をぱちくりさせた。

「ん? ……これ、そんなに気持ち悪かったか?」

「あったり前でしょ! 自分の声テープにでも録って聞いてみなさいよ、『即効で卒倒して夢の国でごきげんようv』って感じだから」

「おお……なるほど。全然気付かなかった」

「ったく、しょーもない……」

 本田はその隣で、少し傷ついたように「そーか、気色悪いか……」と呟いている。あんな喋り方を(嫌がらせのつもりではなく)無意識にやっていたというのだからタチが悪い。

「あ、そうだ」

「ん?」

「……あたし、児嶋ちゃんの絶対命令であんたの手伝いする事になったから」

「う、おぉ?」

「だから手伝い」

「う、おぉ! 入ってくれるか! ああっ、今までの努力は無駄ではなかった!」

「違うっつーのに」

 やはり勘違いしている。本田は自分に都合のいい解釈が得意なのだ。

 彼がしつこく奈津美につきまとう訳。それは彼女を自分の同好会に引き込むため、であった。












 本田の同好会は人員不足に悩んでいた。大雑把に言えばその通りだ。実はその他の根本的なトコロに重大な欠陥があるのだが、その辺は都合により今は秘密である。秘密といったら秘密なのである。

「どうしたものか……知恵を貸してくれワトソン君」

 この同好会は学校に承認されていない。だから当然、活動に使える部屋もない。

 校庭側にある運動部部室棟の、人気のない場所──つまり、校舎と部室棟の間の、幅にして1.5メートルの隙間。そこが彼らの生息地だ。

 人が通るのに不自由はない。が。それでも、体格のいい本田がこんな狭くて暗くて汗臭いところに潜んでいる様は何というか不気味であった。

 会長の本田を横目でちらっと見て、副会長の真津は複雑な顔をした。

(こんなとこに自分から入ってくる物好きなんているわけないって)

 本田は入会希望者がいないのをしきりに不思議がっているが、それも真津には信じられない話である。

(勝手にワトソン呼ばわりするし)

 中学の時(不幸にも)知り合いだったせいで、本田によって半ば強引に入会させられてしまったのだ。真津は一年、本田は二年。先輩後輩の立場では、どう考えてもこちらの分が悪い。当の本人に悪気がまったくないあたり、何やらやたらと憎たらしい。

(せっかく智恵ちゃんに告白されたのになぁ……)

 もともと顔は悪くない、つもりだ。おまけにちょっとしたフェミニストなので、女子に人気もあったのだ。それを。

「まだ諦めてないんですか?」

 自然、答える声も刺々しくなる。本田はそれにさえ全く気付いていない。

(くそー)

 こんな所に入ってしまったせいで、智恵にほとんど会えなくなった。愛想を尽かされたとかそういうことではない。嫌われたらどうしよう……などと弱気になり、この同好会で活動しているのを知られたくない一心で、極力会わないようにしていたのだ。果てしなく後ろ向きである。

 もしかすると彼女は、真津に嫌われたと思って傷ついているかもしれない。この間廊下ですれ違った時も、真津は自分から目を逸らしてしまったのだ。

(馬鹿だー、俺)

 このままじゃヤバイ。

 それもこれも本田のせいだ。首でも締めてやりたいのだが、本田に力技を仕掛けるのはやめた方が懸命だ。耐えろ俺! と真津は気合いを入れてみた。

「当たり前だ。部に昇格するため、俺は諦めん!」

 部になってしまったらなってしまったで、副部長はきっとまた自分なのだろう。彼は万感の思いを込めて溜め息をつく。

「………………頑張りましょうね、お互いの幸せのためにね」












「相川さん、何ですかその手紙」

 昼休み。早くもクラスの人気者になってしまった裕輔は、うじゃうじゃと寄ってくる女の子たちの山からやっとこさ顔を出す。彼女たちのパワーに、彼は正直いってヘロヘロになっていた。

「熱烈なラブレター」

 奈津美はげんなりと眉を顰める。それを聞いて裕輔は目を丸く──する前に思いきり大笑いした。

「笑うなこのヤロウ」

 なっちゃん ぶち切れ寸前。

「奈津美、あんた また そんなもん貰ったの。今度は誰から?」

 美久が裕輔の後ろから顔を出してそう言った。美久と奈津美は中学の時からの友達であるらしい。

「は? よくあるんですか、コレ」

 裕輔は、奈津美が無造作に持っている誰かからのラブレターを、同じく無造作に指差した。

「そう。よくあるのよ、コレ」

 美久も同じ物を指差して裕輔と顔を突き合わせた。二人ともしばらくそのまま静止する。数秒間のにらめっこ。

(……? 何やってるんだろう、俺)

 だんだん空しくなってきた時、美久は突然奈津美の方に向き直った。

「で、誰からなのよ」

(は?)

 肩透かしを食らった気分だ。そこでいきなりやめますか、と思いつつ美久を見る。

(うーん、茶髪。)

 この学校には頭髪規定というものがある。それをさらりと無視して脱色された髪。着色や脱色といえば もはやファッションだが、この学校で美久の髪の色は少々目立ちすぎる。

 ここは進学校なのである。一応(作者自信なさげ)。そんなわけで、校則に目もくれない美久のような生徒は少し珍しい。校則なんて誰もが大なり小なり破っているものだが、「目立つ」違反はみんな避けるのだ。その際に生じる不利益──たとえば、成績や内申などを巧みに計算して。

 なんでそんなに茶色がいいんですか? と聞いてみたら、「シュミ。キレイだから」と美久はあっさり答えた。やっぱり面白いヒトだと裕輔は思う。

「こら渡辺。聞かなくていいの? 奈津美に惚れてる物好きの正体」

「あ、はいはい。聞きます聞きます」

 美久に話し掛けられると、裕輔は弱い。

(何なんでしょうね、島田さんって妙ーな凄みが)

『で。誰(なんですか)?』

 美久と声を合わせて奈津美ににじり寄る。奈津美は多分に呆れていた。

「あんたらって妙に気が合うのね。一応プライバシーなんだけど」

「プライバシーって新種の箸ですか?」

「あら、聞いたことないわね」

 奈津美は溜息のような呼吸を吐いた。やはり親父ギャグはマズかっただろうか。

「……知らない人」

「は?」

「だから、コレくれたのは知らない人なの。何考えてんだこいつ」

「確かに」

 裕輔は妙に納得してしまった。奈津美が相手を知らない(または覚えていない)ということは、ろくに話した事もない相手だということだろう。という事は奈津美の性格もろくに知らないわけで……外見だけなら好意を持つ気持ちも多少はわかる。なにせ奈津美は「可愛い」のだ。……多少は。

「あんたって失礼極まりないわね。……で、コレはどうでもいいとして」

 奈津美はまたもそれを無造作に鞄にしまった。名も知らぬ少年(多分)が少々可哀相だ。美久がそれを眺めながら、返事ぐらいしてあげなさいよと釘を刺した。奈津美はガサガサと鞄を探り、次なる見せ物を引っ張り出している。

「実はここにもう一枚あるのよ」

「物好きがまた一人」

──ごん。

 今度こそ、奈津美はこぶしを固めて下に落とした。

「い、いたひ」

 裕輔はうずくまって大げさに痛がる。

「奈津美。苛めてもいいけど程々にね」

 一人冷静に美久が言った。いろいろな意味で痛すぎである。

「助けて、皆神君または岸本君または佐藤君または伊藤君」

 頼みの綱の謎の副委員、相川の幼なじみの謎な兄貴、驚異の睡眠マシーン、そんな変人な友人たちの中で唯一普通といえるクラスメイトである伊藤君……は、いなかった。

「ああっ、みんないない。しくしくしくしく」

 とりあえずさめざめと泣いてみる。……何も変化はない。

「そのもう一枚っていうのがね」

 裕輔の観察に飽きたのか、奈津美は無視して話をしはじめる。

「本田からなの。なんか知らないけど裕輔のことも書いてあんのよ」

 隣にいる美久が、楽しそうに「ああ、アレ」と言った。裕輔にはピンとこない。

「『アレ』?アレってどれですか?」

「覚えてない?」

「え?……ホンダ、ホンダ、ホンダ、ホンダ……。知らないと思うんですけど」

 裕輔は真剣に思い出そうとした。しかしやはりわからない。

「ほら、児嶋ちゃんに呼び出された時の」

「またニセ呼び出し? 暇ねー児嶋ちゃん」

「児嶋ちゃんは常に、いついかなる時もヒマ人間よ!」

 奈津美はやけにきっぱりと言い切った。自信があるらしい。

(児嶋ちゃん……親しまれてるんだかナメられてるんだかサッパリですよー)

 ちなみに、裕輔も児嶋のことを「児嶋ちゃん」と呼ぶことにした。奈津美の前で「児嶋先生」といったら、「やめてよ児嶋ちゃんが先生みたい」と言われてしまったのだ。

「ホンダ、ホンダ……あ? あ、あーなるほど。きっぱりすっぱり完っ全に忘れてました」

「そいつから」

「ラブレターが?」

「正確に言うと違うんだけどね。要するにしつっっこい奴なのよ。ほら」

 ホンダからの『ラブレター』を差し出す。

「見ていいんですか?」

「見られて困る内容じゃないし」

 これは奈津美。

「全然構わないでしょ、アレのプライバシーなんてないも同然だから。『俺を見てくれ!』って感じの人よ。バカ一直線」

 これは美久。

 それはあまりにも失礼な。自分の事を棚に上げて、裕輔はそう思った。

(それにしても、そこまできっぱりと言われる『アレ』って……どんな人……?)

 その時、皆神が教室に入ってきた。

「相川さん、他の女の子達がヒマそうにしてるよ」

 彼は裕輔の席にたむろしている奈津美を見つけて、通り過ぎざまにそう言ってそのまま去っていった。ふと思い出した奈津美が後ろを振り返ると、女子達がヒマそうにこちらを見ている。

「ごめん、裕輔返すねー」

 その奈津美を見て、裕輔は複雑な気分で呟いた。

「ないがしろにされてる気が」

「よくある事だよ、よくあること」

「は? ……あれ、いつのまに来てたんですか皆神君」

 どきどき。

 びっくりしている裕輔を見て、皆神は満足そうに笑った。

「いつの間にか、だよ」

 こいつも何だか謎の人物だ。

(『いつもさわやか児嶋君』だしなぁ……)

 クラスの副委員なのに、妙なキャッチフレーズを考えるような奴だし。さっき助けを呼んだ時にはなぜかいないし。

「すごい特技ですねぇ、気配を殺して人の背後に立つなんて。皆神君の将来の夢は、もしかして忍者ですか」

「秘密」

(秘密、とか言われても……)

 お嫁さん、とか言われるよりはマシだが。

「すっかり女の子の遊び道具だね」

「そうですねぇ。まぁ、男の子にイジメられるよりはマシですけども」

「いや、君は苛めるより からかう方が楽しい。何故なら やられキャラだから」

「それって両方同じ意味なんじゃ」

「気にしちゃ駄目。……ああ、そろそろ授業が始まるね」

 壁の時計を見て、皆神が思い出したようにぽつりと言う。つられて裕輔も壁に目をやった。

「あ、ほんとだ」

「席に戻るよ。渡辺君、ありがとう」

「は? 俺、何か感謝されるような事しましたか?」

「気にしない気にしない」

「…………?」

 皆神直人は喜んでいた。なぜかというと。

 渡辺裕輔が来る前、彼はそのルックスが原因で女の子に囲まれて面倒な思いをしていた。さすがは彼といったところか。うろたえこそしなかったものの、かなり辟易してはいたのだ。

 それが今回、妙な転校生によって女の子達の興味が自分から逸れ、面倒が去ると同時に面白い友人も手に入れた。これが喜ばずにいられようか。

(いろいろとありがとう……フフ)

 皆神は上機嫌でくすりと笑った。
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