Introduction
どこまでも続く海に、とても小さな島がある。不思議と存在感のある、華やかで美しい島。
サリトス島。子供たちの住む島。
島の住人は八人の子供達と一匹の狼、そして一人の老人。
島の子供達は年をとらない。いつまでも子供のまま、何十年も転生を繰り返して生きている。その命の灯が消えるたびに、彼らは前より一つ年をとって生まれ変わるのだ。八歳だった者は九歳に、十歳だった者は十一歳に。
島にいられるのは十八歳まで。十八で死んだ者は、また三歳から生まれ変わる。なぜ三歳からなのかはわからない。自我の芽生え始める年齢が三歳ぐらいからだということが、何か関係しているのかもしれない。
彼らは大人への成長を妨げられている。もう何十年も、何者かの意志によって。
彼らはここで、暮らしている。この地に他者の介入はない。
「あーっっ!ないっ!」
春先。早朝の爽やかな風。窓から入る陽光を、きらきらと反射する波立った水面。昨夜泉から汲んできた水は冷たすぎない温度で肌に心地よく、数刻前から囀りはじめた小鳥達の声が耳に優しい。
そんな清々しい空気の中に、この場にはおよそそぐわない声が思いきり響き渡った。仲間達の誰であっても容易に想像がつく事だが、犯人は勿論アリーネである。彼女のこの一声で、心地よい眠りについていた者の一部が無理矢理叩き起こされたのはいうまでもない。
彼女の手指や腕を濡らすのは、手ごろな容器──軽やかな空気をぶち壊して申し訳ないが、非難を覚悟で敢えて言うなら、使い古されたあげく焦茶色になった洗面器──になみなみと満たされた清潔な水である。つまり、アリーネは朝の洗顔の途中だったのだ。顔もこれ以上ない程びっしょりと濡れている。
アリーネの一日は朝食の仕度で始まる。朝起きたら、台所へ続く階段をパジャマのまま下りてゆく。それから汲み置いた水で顔を洗う。その刺激に助けられ、思考能力を鈍らせていた眠気が吹き飛ぶ。その時……彼女は突然気づいたのだった。
「信じらんない信じらんない、何でないのどうしてないの、何がどうなってこうなっちゃったのっ!?」
誰もいないキッチンで、アリーネは一人で喚き散らした。
おかしい。いつもテーブルの上で、グラスに入れて飾ってあるのに。
失くしたものは小さな石。全体に乳白色で、角のない丸い形。僅かに透きとおって、月の夜には仄かに輝く。眩しすぎない光が、どこか優しい気がしてアリーネは好きなのだ。
なくて困るものではないが、ないと寂しい。そう感じるということは多分、その石はアリーネにとって大切なのだろう。
「アリーネ!」
不意にカタカタと不規則な音がしたので目を遣ると、隣の家の窓から顔を出して、赤毛の少年がこちらに声を投げてきた。ヨルである。
顔を洗う前にキッチンの窓を雨戸ごと開けたので、お互いの顔がはっきり見える。
「何だよこんな時間に!お前いっつもうるさいんだからさー、朝ぐらい静かにしろよな!」
顔立ちが幼い。くりっとした大きめの目が、あどけなさに拍車をかけている。これでもヨルは十四歳だ。
「いつもしつこく寝こけてる分、今日ぐらい早起きしてもいいじゃない。そのうち寝過ぎで脳みそ溶けちゃうわよ」
あっさりとそう言ってやる。こちらが早起きして朝食をこしらえている時、毎日毎日飽きもせず惰眠を貪っている輩にはこれくらい言ってもばちは当たらないはずだ。
彼は朝の涼しさも消えかける頃になって起きてきて、アリーネがせっかく作った朝食を何の感動もなくもそもそと食べるのだ。失礼極まりない。
「ヨル……うるさいのはお前だ」
ヨルの後ろから、突然また別の声が聞こえた。それほど大きな声ではないが、朝の静けさのせいかすんなり耳に入ってくる。
「スタン。起きたのかよお前」
「お前のせいだ」
スタンはきっぱり言い放った。アリーネから彼の顔は見えなかったが、彼は相当不機嫌な顔をしているはずだ。そのくらいは声でわかる。
スタンはどちらかというと早起きである。今日に限って遅いのは、昨日ティーシャ──仲間内で最年少の、五歳の少女だ──のためにアールと二人で花火を作っていたからだ。アリーネは完成する前に寝てしまったのではっきりとは知らないが、この様子だと真夜中を過ぎても作業は終わらなかったに違いない。
「スタン……あんた、いつ寝たの?」
スタンは重い足取りで窓際まで歩いてきた。窓枠にもたれて、無気力に応える。
「寝る頃には明るくなってた。のめり込み過ぎたな」
そう言って口の端を片方あげた。不機嫌な表情が一瞬だけ崩れる。整った顔だが少々皮肉げな印象がつきまとうのは、多分彼がよく見せるこの意地悪な笑みのせいだ。
スタンの髪は色素の薄い茶色だ。金髪に近いかもしれない。目も全く同じ色。アリーネの髪と目は金茶色だが、スタンの持つ色とは趣が違う。
「アールは?」
「あいつも同じだ。延々と細かい作業を続けておいて、あいつだけ平然としてたけどな」
「……アールってば超人よね、時々」
アールというのは、古代文献を漁るのが趣味の変わり種だ。彼は、好きな事をしている時は殆ど疲労を感じないらしい。後から疲れが押し寄せるのかというとどうやらそうでもないらしく、彼の消費したエネルギーがどこから来てどこへ行くのかは永遠の謎だ。いつも見せている穏やかな態度からは、そのパワーは想像がつかない。
「あいつの集中力は化け物並だ」
半ば呆れたように、溜息と共にスタンが呟いた。
「なースタン、花火できたのか?」
「ああ。アールが持ってる」
「いつやるんだ?」
「ティーシャ次第だな」
「早くやりたいわねぇ。ティーシャだって喜ぶわよ」
「な!」
「……ってそれどころじゃないのよ!」
アリーネは突然思い出し、大きな声を上げて他の二人をぎょっとさせた。今まで忘れていたというのもかなり問題があるが、それもこれもアリーネなのだから仕方ない。
「何だよいきなり」
「やかましい」
二人は思い思いの、正直極まりない本音を述べた。特にスタンなど、押さえられた声音に静かな迫力が秘められているのが多少怖かった。
アリーネも負けじと言い返す。少し気圧されたのが悔しかった。
「だってだって、ないのよ!」
「だから何が」
「大事なものが!」
「だからそれは何なんだ」
「秘密!」
「それじゃ探しようがないだろ馬鹿!」
スタンは堪らず叫んだらしい。寝起きに大声を出させるな大馬鹿、と後から二重に怒鳴られた。
「いいわよスタンは探さなくて!でもヨルは手伝って」
「……いい度胸だな?」
僅かに眉をあげてスタンが言う。
「俺はいいけどさー、なんか目ぇ覚めちゃったし。だから何探すんだよ?」
ヨルはヨルで、スタンの台詞には構いもせずに(彼の声音に気づかなかったのかもしれない。筋金入りの鈍感なのだ)アリーネを見下ろした。
(あっ。ヨルに見下ろされるのってちょっと嫌)
いくら一階と二階とはいえ、いつもと視線の向きが逆になると何となく悔しい。……特に相手がヨルの場合は。
「後で教えるわよ。下りてきて」
言うとヨルは素直に下りてきた。とたとたと音がして、数秒後にはもう外に出て来る。
着替えるからちょっと待ってて、と告げてから、アリーネは窓の側から立ち去ろうとした。
「アリーネ」
スタンが突然声をかけたので、少し驚く。
「な、何よ?」
怒っているのだろうか。いつものように受け流すとばかり思っていたのに。
「顔を拭け」
「……あ」
アリーネの顔は濡れたまま……というよりはもう乾きかけていた。
「そのまま出かけるつもりか?」
スタンがまた口の端をつりあげた。この余裕の態度といったら、気に障ることこの上ない。
悔しいので、アリーネはキッチンの窓を憤然と閉めた。スタンの馬鹿、と言い放って。
「アリーネ?何してるんだ?」
家の中でごそごそやっていると、カトレアに声を掛けられた。同じ家で、アリーネとカトレアとそれからあと二人、サリスとティーシャが暮らしているのだ。
ヨルには外を探してもらっている。外にあるとは思えないのだが、念のために。普段は元気でうるさくて考えなしの迷惑なお子様だが、こういう時は協力的で本当に可愛いのだ。
「ちょっとね、大事なもの探してるの」
「大事なもの?」
「ここにあった石。今朝見たらなかったのよ」
アリーネはテーブルを指さした。
「グラスの中の丸い石か?」
群青色の瞳。髪はわずかに藍を含んで、肩まで伸びて艶やかに黒い。
彼女の瞳には強い意志が宿っているのだ。群青は夜の海の色。彼女の造作も含めて、カトレアの纏う空気がとても綺麗だとアリーネは思う。
「そう。キレイだったでしょ?」
「ああ……あれは確か……」
カトレアが何か言いかける。間髪入れずアリーネが言った。
「スタンがくれたやつよね」
そうなのだ。これは昔、外に出掛けて帰ってきた時にスタンがくれたものだ。色違いの同じ物を、他の女の子達三人も持っている。
「ヨルも探してくれてるんだけどね」
「スタンに言ったのか?」
「まさか。言えないわよ」
「……そうだな」
スタンに教えなかったことに悪意はない。せっかくくれたものを、失くしたというのは気が退けたのだ。その割にはやり方が悪かったと自分でも思うのだが。
「どうしたの?」
その時二階から降りてきたのは、白金の髪の少女だ。明るい薄緑の瞳で、柔らかに視線を投げてくる。
「あ、サリス。いいところに来たわ、手伝って」
ティーシャはまだ寝ているようだ。だが、誰も無理に起こそうとはしない。子供の健康は睡眠が資本だ。まだそんなに遅い時間ではないし、彼女が起きる頃には声の届くところに誰かがいることになっている。
「いいけど……何?」
サリスは確か十六だと言っていた。アリーネよりひとつ上。心なしか、時々アリーネに向かって姉のような顔を見せる。元来引っ込み思案の彼女だが、カトレアやアリーネや年下の子供達に対しては自然な笑みをつくれるのだ。逆に、スタンやアールには思っていることの半分も言えないでいるが。
さっきまで騒いでいた割に、アリーネは落ち着いていた。ひょっとすると、サリスが微笑ったせいかもしれない。
「……失くしちゃったのよ、スタンから貰った石」
逆にサリスの方が驚いていた。
ヤオはぼーっとしていた。もっとも、これが彼の日常であるから、これは特筆すべきことではないが。
額にかかった黄土色の髪を軽く払って、草の生えた地面に寝転がったままごろごろしている。
(暇、だなぁ……)
彼の一日は、起きて、顔を洗って、ぼーっとして、ティーシャと遊んで、ぼーっとして、それからご飯を食べて、ぼーっとして……つまりはぼーっとすることの繰り返しの様なものだ。これが意味するのは、ティーシャが起きてくるまで彼には仕事が全くないという事だった。
(やっぱり暇だなぁ……)
暇なのもたまにはいいのかもしれない。だが人間というのは贅沢なもので、あまりにも暇だと逆に嫌になってくるから不思議だ。
太陽が顔を見せてから時間が経てば暖かくなる。それはそれでいいのかも知れない。だがせっかく涼んでいるというのに、これ以上暖かくなったら暇すぎてうっかり寝てしまうではないか。
(暇すぎるなぁ……)
そういえば、だいぶ前に聞こえたアリーネの叫びは一体何だったのだろう。ない、と言っていたようだが何がないのだろうか。どうせ暇なら、行ってみるのもいいかもしれない。
ヨルが来たのはそんな時だった。茂みをがさがさやりながら近づいて来る。こちらには気づいていないようだった。
「あれ、ヨル」
「あ、ヤオじゃん」
「どうしたのそんな難しい顔して」
「これはムズかしい顔じゃなくて探し物してる顔!」
「……いいけど、それって何が違うの」
「いいじゃんそんなの、どうでも」
どうでもいいならわざわざ訂正しなくてもいいような気がしたが、そんな事をわざわざ訴えるのもかなりどうでもいいので黙っていた。
「……探し物って何?」
「アリーネのなんだけどさ、石」
「石?」
探し物というには随分な単語だ。ヤオの頭の中では、ごつごつした岩のイメージが出来上がる。
「スタンが前に持ってきたやつ」
それを言われてやっと納得がいく。考えてみれば、ヤオが想像したような岩などわざわざ誰も探さないだろう。
「ああ、あのクリーム色の」
「そうそう、んでちょっと光るやつ。綺麗なんだよな」
「そうか、アリーネが騒いでたのはそれのことか……」
「ヤオにも聞こえたのか、あのでかい声」
「うん。結構凄かったね。さっきまで忘れてたけど」
眠っていても跳び起きたかもしれない。それほど大きな声だった。もっとも、目の前にいるヨルがまさにその被害者だとは気づきもしないヤオだったが。
「忘れんなよボケてんなー。でも、あそこからここまで……って、もしかしなくても三百メートルはあるよな?」
「うーん……考えてみるとそうだね」
アリーネの声を見くびってはいけない。叫んだけで鈴なりの木の実を落とせるのではないかと、半ば本気で時々思う。
「アリーネって……」
ヨルも何か考えたようだ。思わず絶句している。
「ともあれ」
ヤオは言った。これ以上暇をしなくてすみそうだ。
「手伝うよ」
当然のことながら、スタンは不機嫌だった。
(何考えてるんだあいつは)
何か考えてああ言ったことぐらい最初からわかっている。いくらアリーネでも、何の理由もなくあんな行動をとることはない。
(………………)
わかってはいるが、自分にだけ秘密にされるとかなり面白くないのは確かだ。おかげで眠気が覚めてしまった、まだ寝不足だというのに。
「スタン」
ドアの向こうで微かに音がして、聞きなれた声が耳に入る。
「起きてる。来い」
眠気は覚めたが、不機嫌なものは不機嫌だ。今の気分をそのまま映しただけの声を投げる。もっとも、それを気にして躊躇うような相手ではなかったが。
「寝不足か?」
ドアを開けて入って来た、相手の第一声がこれである。
「元気なお前が異常なんだ」
アールは真っ直ぐやって来て、近くの椅子に腰を下ろした。
「ヨルの部屋で寝てるなんて珍しいな」
「……自分の部屋で寝ろっていうのか?」
冗談ではない。昨日花火の火薬を調合したのはスタンの部屋なのだ。今なお残るあの火薬臭さは犯罪だ。
「俺はいつも『あの部屋で』寝てる」
アールはこともなげに言った。
「お前と一緒にするな」
『あの部屋』というのはアールの部屋のことだ。歩くどころか立つ場所さえないほど、所狭しと薬品が鎮座している。しかも『危険物』のラベル付きで。あんな所で暮らせること自体尋常ではない。
「……まぁ、自分が普通と違うことくらい認識してるつもりだけどね」
「賢明だな」
スタンがそう言い捨てた。友情が決裂しそうな会話だが、アールが気分を害した様子はない。つまりはこれが通常なのだ、二人の間では。
「……アリーネの声が聞こえたけど、何かあったのか?」
「さあな。大事なものを失くしたらしいが、俺には何も言わなかった」
「……スタンも知らないのか」
「ヨルは知ってるはずだ。アリーネと一緒に探してる」
聞いて、アールが不思議そうな顔をする。
「なんでお前には言わないんだ?」
「俺が知るか」
スタンはにべもなくそう言った。アールが溜息をついたのはいうまでもない。
「少し気になるな。お前はいいのか?」
「俺には探して欲しくないんだろ」
拗ねているわけではない、きっとそれが事実なのだ。ただでさえ面倒なことに、迷惑がられてまで執心するつもりはない。
「……行ってくる」
アールはそれだけ言って出て行った。
「ないわね……」
サリスが肩を落とした。アリーネ以上に残念がっているように見える。
「……まぁ、ないならしょうがないんだけどね」
「でも、スタンがせっかくくれた物よ?」
「そ。それなのよ気になるのは」
失くしたと言っても、スタンは怒ったりはしないだろう。ただ、思いきり呆れられると思うのだ、彼の性格上。アリーネのプライドにかけて、それはちょっと阻止したい。
「スタンにだけは!馬鹿にされたくないのよ!」
そう思うアリーネの事情の裏には、日頃からそのような目に合っているという事実がある。
「……どうしてそんなにスタンを目の敵にするの?」
サリスがやんわりと尋いてきた。アリーネにしてみれば、スタンの言動が気に障らないことの方が不思議なのだが。
「ああ見えて結構気を使うからな。知ってるか?あの石を拾ったのは何かのついでだと言っていたが、あれはわざわざ寄り道したんだ」
カトレアもそんなことを言う。二人とも、スタンを贔屓目で見ているに違いない。
「あんな性格して、ちゃっかり庇われてるところが気に入らないわ……」
二人のフォローもアリーネには馬の耳に念仏である。それどころか、ますます対抗心を燃やしている感があるから始末に負えない。
その時、家の扉がノックされた。アリーネが声を投げる。
「はいはい。誰?」
扉の脇の薄いガラスごしに、黒い影が映る。
「……入っていいかな?」
アールだった。
「あーびっくりした。上から下まで真っ黒だから、何かと思った。アール、あんた黒い服着るのやめなさいよ」
アリーネの言うことは間違っていない。アールは髪も目も漆黒なので、黒い服など着ようものなら影か何かに見えるのだ。
「……考慮するよ」
自分のことを良く知っているのか、それともアリーネに何か言っても無駄だと思っているのかはわからないが、アールは特に反論しなかった。
「あ、こっちに来たのってあたしが騒いだせい?」
「まあね。何がなくなったって?」
「スタンに貰った石」
「ああ、それで」
「何?」
「だからスタンに言わなかったのか、と思って」
「そ。……怒ってた?」
「いや、別に。何となくわかってるようではあったよ」
「そっか」
アールは、スタン以外の相手には喋るとき口調を変える。女の子相手には特に柔らかい。それはスタンを認めているからなのか、スタンを相手に気を使う必要がないからなのか、アリーネにはよくわからない。大した問題ではないのかもしれないが。
「……手伝おうか?」
「うん、お願い」
「どこを探せばいいかな」
「えーとねー……」
「大体さー、無茶なんだよな、あんなちっこい石探せなんて」
「……飽きるの早すぎるよ?」
一緒に探し始めて十五分。ヨルは諦めが早かった。
「だってさ、俺だぜ、俺!細かいとこまで探せるわけないんだ、それも外なんて」
「そりゃそうだけど……ってそうじゃなくて。もうちょっと頑張ってみたり……しない?」
「しない」
「うーん……」
やけにきっぱりと言われてしまった。ちょっと困る。
アリーネに頼まれちゃったから俺まだシューダーに会ってないんだぞ、と、ヨルが言って口を尖らせた。
シューダーというのは、ヨルの飼っている狼のことである。ちなみにヨルは昔、彼(?)を犬だと思っていたらしい。……今はどうでもいいような話ではあるが。
「大体さー、それって夜に光る石なんだろ?」
「うん。アリーネも前にそう言ってたね」
「夜に探した方が楽じゃん、光ってんだからさ」
「……あ」
……何故今まで気づかなかったのだろう。
「夜よ。誰が何と言おうともう夜よ」
「……夜だな。今更それが何なんだ」
スタンが呆れ顔で見返してくる。わかってはいたがやはり憎たらしい。
結局、石がなくなったことはスタンの知るところとなった。……やっぱり散々呆れられた。彼の今の表情はその延長だ。
つまり、探し物は見つかったのだ。事の顛末はこうである。
あれから、ヨルがヤオと共に戻ってきてものすごくもっともなことを言ったので、石探しは一時中断となった。そのうちティーシャが起きてきて、お腹が空いたというので朝食となった。
けれど、呼んでもスタンが来ない。呼びに行ったらいなかったので、どこに行ったんだと皆で言っていると、しばらくしてしれっとした顔で戻ってきた。……片手にあの石を握って。
「探してたのはこれか?」
アリーネに無造作に手渡して、「シューダーの小屋にあった」と、これもまたしれっと言ってのけたのである。
「……なんであんたが持ってんのよ?」
「ヨルがシューダーのところに行ってなかったから、代わりに行ってきた。暇だったしな。そしたらあいつが口にくわえてた」
「……なんでシューダーが持ってんのよ?」
だから、と、スタンはアリーネの顔を見る。
「昨日のことは覚えてるか?」
一語一語、区切るようにゆっくりと言ってくる。間違いなく馬鹿にされているのだ。スタンの性格の悪さは折り紙つきである。アリーネはむっとして言い返した。
「覚えてるわよ。朝起きて、ご飯つくってみんなで食べて、ティーシャの遊びにみんなで付き合って、そしたらティーシャがあたしの石キレイだっていうから持たせてあげて……って、ああっっ!」
思い出した。昨日、その後に誰もがティーシャから目を離した瞬間が確かにある。
「そういうことだ」
「信じらんない!それってばヨルのせいじゃないの!」
「何だよ。俺なんかしたかよ?」
「した!ほら、あんたがふざけて木に登って、みんなが止めるのも聞かないで手まで放して、挙げ句の果てに思いっきり落ちたじゃないの!」
そうだ。あの時、みんながヨルの周りに集まったのだ。今から思えば迂闊だったが、誰もティーシャに気を配る余裕がなかったのだ。
「なによもう!うっかり心配なんかするんじゃなかった!」
「げ。俺のせいかよ」
「だろうな」
アリーネと同じく、スタンも容赦なかった。
「……結局、俺って何だったんだろう……」
「ごめんねーヤオ。ぜーんぶヨルのせいだから」
「なんだよアリーネ、人をこき使っといて結局それかよっ!」
案の定ヨルは食ってかかった。せっかく少しだけ可愛いと思ってあげたのに、恩知らずである。
「……ヨルばかり責めるのも可哀相じゃないか?」
カトレアは少々見かねているようだったが、それ以上は言わなかった。。しっかりしている割に、いざという時以外は押しが弱いのだ。
「だってティーシャを責めるわけにいかないじゃない」
そう言ったらサリスが微笑った。それまでおろおろしているだけだったのに、急に納得いったという顔をして。
「……だったら誰も責めなくていいんじゃないの?」
「………………」
しばし固まる。そう言えばそんな考え方もあったような。
「……それもそうね」
「でしょ?」
にっこり笑って騒ぎを鎮めてしまった。サリスのこういう所を、アリーネは時々尊敬する。
と、こういうわけだ。
そんなこんなで夜が来た。スタンの視線が、相も変わらず突き刺さっている。うっかり者、と声まで聞こえるようだ。
(ううっ、針のむしろ)
アリーネは言葉を捜して口ごもった。
「だから夜なのよ。夜だから……」
スタンの顔が倣岸不遜である。アリーネは負けじと言い放った。
「悔しいからご馳走!作るわよ!」
「……何でそうなるんだ?」
彼の表情が呆れから「ついていけない」という意思表示に変わった時、アリーネは少しだけ勝ったと思った。もっとも後から、我ながら意味不明だと思ったりもしたが。
何はともあれ、今日もおおむね平和だったのだろう。
Fin.